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S銀行事件は検察が近年、最も執念を燃やした捜査だったといわれている。
T弁護士の登場、Tは、S銀行の前身、D国立銀行の発祥の地である長崎県平戸市で、白米を食べるのは正月とお盆だけという貧しい家庭に生まれた。
県立N高校樟(定時制)を卒業。
苦学して0大学法学部に進み、司法試験に合格、検事に任官した。
Tは大阪と東京の地検特捜部で蝶腕を振るった。
福岡県苅田町で発生した住民税流用事件で、現職代議士を収賄の容疑で追いつめたが、あと一歩で逮捕という段階で、捜査から外された。
これに腹を立て、Tは検事を辞めた。
一九八七年に弁護士に転じ、ヤミ社会の紳士たちの弁護を一手に引き受ける「聞社会の代理人」として悪名を轟かせた。
Tの大阪経済法律事務所は、AのM(上巻の第一章「T相和銀行」の項を参照)、Aグループ(旧・M産業)のT、I事件のI、仕手筋のK(第三章「Rホールディングス」の項を参照)、住宅金融専門会社(住専)から借りまくって借金王といわれたS興産のS、北海道T銀行を食い潰したECCのN、NTS銀行を食いちぎったE・I・EのT(上巻の第二章「NTS銀行」の項を参照)などの駆け込み寺となった。
一時は、日本に二台しかない七億円はする、豪華なヘリコプターを保有するほど羽振りがよかった。
もう一台のへリの所有者は、Sグループの総帥、Tだった。
Tは指定暴力団Y組のナンバー2で、のちに射殺されることになるT組組長のTの顧問弁護士で、I・S銀行事件の主役の一人、Kの法律の指南役でもあった。
T組長に続いてKとコンビを組むことになった、ヤメ検のTを、検察は黙認しておけなくなった。
TがI産業の手形詐欺事件で収監される前に著した自伝『反転|聞社会の守護神と呼ばれて』(G刊)で、S銀行の不正融資事件について、こう書いている。
おまけに事件には、Kの名前も取り沙汰されていた。
そんな事件の舞台になった石卸会社「E」の顧問弁護士をしていたのだから、捜査当局も私の関与を疑ったのだろう。
現に、Eの社長、Sを許に紹介した張本人が私だった。
「先生が顧閲されているEから時計を買いたいんでつけど、どうですやろ」私にそう言ってきた。
彼にしてみたら、私の顔を立てようとしただけかもしれないが、Sを引き合わせたのである。
Kは例によって、気前よく五000万円もする腕時計をポンと買い、代金を手形で支払った。
その手形の裏書保証を私がした。
それだけに、余計にいろいろと詮索されたのだろう。
融資の一部が許や私に流れていたのではないか、そうも囁かれた。
(中略)(E社長の)Sを調べた刑事は言ったそうだ。
「責任は検察庁がとるから、どんな容疑でもTを速捕しろと命令されている」と。
あきらかに捜査は、私をターゲットにしていた。
TがS銀行元頭取のTの背任事件の構図の中にいたのは確かだが、Y組に強いという顔を生かして、他の暴力団がS銀行に食い込むのを防ぐという防波堤の役割をも担っていた。
検察は「不正融資に関与したわけではない」というTの主張を、結局、崩すことができなかった。
東京地検特捜部が執念を燃やし、Tを逮捕したのは、二000年三月のI産業をめぐる一八0億円の手形詐欺事件だった。
0八年二月、最高裁がI産業事件の上告を棄却。
懲役三年の実刑が確定し、Tは収監された。
さらに一0年一月、刑事事件の相談者から九000万円を詐取し、大阪高裁で三年の判決を受けた。
上告せず刑が確定。
収監期聞が三年加算された。
S銀行のTから金を吸い上げ続けたKに手を引かせる、いわゆるK切りに動いたN会の大物幹部は、Y組のT・若頭射殺事件に絡んでおり、韓国で変死した。
捜査当局は、S銀行事件でTの立件を見送った。
Tの特別背任で立件されたのは、K、S、Eに支払われた、もみ消しの謝礼金六五億円だけだが、実際の不正融資は一四六億円に達していた。
S銀行の不正融資事件で商法の特別背任罪で懲役三年六月の実刑が確定した元頭取のT・受刑者は収監先の刑務所で二00三年二月、脳梗塞のため死亡した。
享年七六歳。
不正融資事件の影響は甚大だった。
S銀行は、一九九八年三月期に一七九億円の経常赤字、九九年同期も一二四億円の経常赤字と二期続けて大赤字に転落した。
そのうえ、暴力団への不正融資事件で、S銀行は金融庁に首根っこを押さえられた。
公的資金分を一般株主が負担して、清算へと追い込まれる発端となり、銀行が消え去る決定打ともなったのが、この「頭取の犯罪」だった。
Tスキャンダルの原因となったHカンパニーの、その後について触れてこう。
二00二年、整理回収機構(RCC)がS銀行からの要請でH向け債権の六五%を買い取った。
RCCは経営陣の退陣を求めたが受け入れられなかった。
そのため、RCCは0三年七月、Hカンパニーの会社更生手続きと、ホテル経営の関連会社・N商事に対する民事再生手続きの開始を申し立てた。
負債総額はHがおよそ六0八億円、N商事は、およそ一二八億円。
このうちS銀行が持つ債権は、Hは一六三億円、N商事は二一億円。
S銀行は自らが持つ債務の一部を株式化(DES化)して企業側からみれば債務、銀行にとっては債権であるが、専門用語としては債務の株式化という)、Hの事業の受け皿会社に社長を派遣した。
SがDESを活用するのは初めてだ。
DES(債務の株式化)とは借入金(デット、debt)と株式(エクイティ、equity)を交換(スワップ、swap)することをいう。
債務者である企業側は借入金を返さなくてもよいかわりに、債権者である銀行に対して株式を発行する。
他方、債権者(H銀行)は貸付金は回収できないが、債務者である企業の株式を取得して経営権を握ることができる。
H、N商事の両社の事業のうち、ホテル事業などは売却された。
H傘下のホテルに、かつて青函連絡船「大雪丸」を改装した船上ホテル「ホテルシップヴィクトリア」があったが、0五年二一月末をもって営業を終了した。
Sにとって、TスキャンダルのH舞台HとなったHの処理は、文字通り、負の遺産の処理となった。
K銀行の受け皿に二00一年三月一六日、S銀行は、同じ佐世保市に本店を置く第二地銀、K銀行との経営統合を発表した。
0二年四月に持ち株会社を設立した後、0四年四月までに合併を目指すことになった。
預金量はS銀が一兆四八00億円で、K銀行は一兆二00億円。
両行合わせて二兆五000億円。
長崎県内トップのJ銀行(長崎市)の一兆八一00億円を上回る(数字は、いずれも二000年九月中間期)。
このとき、S銀行の頭取だったMは、「質と量の両面で長崎県のトップバンクを目指す」と胸を張った。
しかし、金融界の反応は、「(S銀は)金融庁からK銀行を押しつけられた」一色だった。
S銀行の前途を危慎する声が圧倒的だった。
K銀行は、九州の第二地銀の中で最初に破綻する銀行とみなされていたからだ。
K銀行は、一九四0年にH無尽、T無尽、A無尽の三社が合併してS無尽として発足。
戦後、K無尽に改称。
五一年、相互銀行法の施行で、K相互銀行に商号変更。
八九年の普銀転換で、K銀行に行名を変えた、第二地銀の中位行である。
「本籍佐世保市、現住所は福岡市中洲」。
K銀行は、こう呼ばれていた。
福岡市の中心部に白亜のビルを建設。
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